2012年5月8日掲載
第10回
【9】の前回では突然、「日本国憲法」の英邦文の本をスー・チーさんに届け、ひとこと、そのカタカナ文を公表しました。5月3日の憲法記念日ということもあって急遽のことでした。詳しくは後で書きます。
当選したスー・チーさんは、旧軍事政権の定めた憲法の前で宣誓してその憲法を守ることを1回は拒否しましたが、「守る」と宣誓してしまいました。
さてここでほぼ同じ時期に中国で盲目の人権活動家・陳光誠さんの米国出国の話がありました。
彼も政府批判をして自宅軟禁されていて、まったくスー・チーさんと同じ境遇にいました。これを書いている5月7日には米国・ニューヨーク大学へ留学する形で家族で出国できるようです。
米中交渉の最中の陳問題です。
両国の利害が衝突している時に中国は自国の利益を有利に得るために陳さん一家の留学を認めざるを得なかったのです。米国の思う通りでした。私はこれが外交だと思うのです。
日常生活の駆け引きといってよいでしょう。
中国にとっては陳さんの人権活動を制約することを国内に広く知られて話題となることは国を治めていく上で大きな障害となります。世界経済の中で、守られた「元」の価値で有利に貿易して外貨を貯めて、経済成長してきた中国にとって国民がコンピュータなど情報産業に浸り、世界中の情報から企業経営をしたり、個人的な資産のためになるものを集めることは当然のこととして認めざるをえません。
その時に世界規準すなわち世界の常識となった人権擁護について熱心な活動家の自由を奪うことなど国民が承服するはずはありません。
いつか自分のことになると皆思うからです。となれば、早い解決を、個人、陳さんの体のいい留学、事実上は追放のような形で話題から外すことを政府が考えたと見ても間違いないでしょう。
陳さんと、米国のこの件に関しての「勝ち」ということです。
―スー・チーさんと陳さんの差―
まったく同じことがスー・チーさんとビルマさらに人権を重視するわが国、米国、EUなどがテイン・セイン政府と外交すべきだったのです。スー・チーさんの旧軍事政権憲法を拒否していることを力点にして、彼女のいうとおりに民主化の方法を改善しなければ、借款、経済封鎖などの制裁は緩めないと強力に時間をかけて迫るべきだったのです。
お互い苦しい時の我慢比べという意味も外交にはあるのです。
かつて私が北朝鮮に粉ミルクを持っていった時のことです。当時、すでにあの国は国際的な人道支援で乳幼児に栄養不足解消の物資を送ってもみんな軍政府が取りあげるという噂がありました。そこで私は自分で保育園に持ち込むことを果たすまで帰らないといって譲らずに一週間帰国を延ばして保育園まで届けたことがありました。その時に私の頭には作家の司馬遼太郎さんや外務官僚の斉藤邦彦さんが「外交交渉ではいろいろな手を使うべきだ。いざとなって長びいて合意ができず帰国予定日が来たら、仮病を使ってでも残って交渉して勝ちとるものは勝ちとるべきだ」といっていたことを思い出していたのです。
―日本、米国らの思い違い―
私の考えでは日本も含め、外国はスー・チーさん当選、民主化の象徴の選挙が行われたということだけで、旧軍事政権の憲法こそが軍事政権そのものであるということを忘れてしまっていたと思うのです。そこでスー・チーさんの宣誓を問題として、宣誓を拒むスー・チーさんを支援する時にこそ日本も米国なども一体となって憲法改正を民主化の必須条件と訴えて、制裁を続けるかどうかの分岐点ということで外圧をかける重要な時だったのです。その時期を逸しました。
残念です。
2012年5月7日 記