2012年3月23日掲載
第3回
1995年にスー・チーさんの自宅で会った時のことです。
彼女に会う目的は在日のビルマ人たちの生活状況の報告と日本国憲法を国造りの基本にしてもらおうと思って手渡すことでした。
自宅軟禁されていて外に出るのもままならないと話しているだけでした。
そこで毎日の精神、こころの持ち様をどうしているのですか、と聞きました。
彼女は「メディテイション」といいました。瞑想です。彼女は仏教徒ですから、静座することは意外なことではありません。
こころを自分で管理しようとする姿勢でした。
また世界情勢などに関心はないのですか、という問いにはBBCを聞いていますと答えました。
ラジオまでは規則されていないのか密かに持っているのかわかりませんが、時おり彼女のメッセージが報じられる時の情報の確かさの理由がわかりました。
そのような日常生活をアウンサン将軍や母親の肖像画が周囲に飾られて、インヤー湖畔の応接間で語りあいました。そして強圧的な当時の軍事政権に何を求めるのか、と聞きました。
すると彼女はすぐさま、「2つのDです」と返事をしました。「その2つとはデモクラタイゼーションとダイアローグです」というのです。デモクラタイゼーションは民主化、ダイアローグは対話です。要するに民主化のためには対話が必要であり、この2つが保障される時にビルマは生まれ変わるというのです。その他に双方の家族のことなどを話しあいました。
別れる時にサインを求めました。するとそれまで英語でしか会話をしなかった彼女はカタカナで“アウンサンスーチー”と自分の名前を書きました。私は驚きました。日本語が書けるのですから、話せるのです。話せるのですか、と目を見て尋ねますと静かな微笑をかえすだけでした。しかし彼女は1985年から半年間、京都大学に留学しているのですから、書けても不思議ではありません。その訪問時に私はアウンサン将軍が日本に来た時の友人のビデオを持っていて、彼女も将軍が日本で世話になった人と認めていましたから、日本への想いが通常ではないことを承知しました。そして、カタカナで自分の名前を書くほど日本に好意を持っていることを知ったのです。日本、日本人にビルマ民主化への期待を強く寄せていました。
2012年3月21日 記