2012年4月12日掲載

第5回

 月刊『文芸春秋』の随想コーナーがあります。いまでも7、8人の人が書いています。そこに原稿を載せることになりました。

 きっかけは度々のビルマ訪問を日刊紙が報じていたのに目をつけたものと思われます。題目はスー・チーさんとの関係です。紀尾井町の文芸春秋本社で丁寧でおとなしい男性の編集者と打合せをしました。

 言われた文字数を決められた日に持っていきました。

 しばらくたって「これでいきましょう。一字も多くなく少なくなく、ぴったりです。結構です。」といって原稿を封筒におさめました。こちらはきたなく読めない文字を指摘されるのではないか、とひやひやしていたのです。これで文字を書くことにすこし自身を持たせてもらいました。この時の編集者が、後に直木賞をとった白石一文さんでした。

 さて文芸春秋に出ると、あちらこちらから「読んだよ。ビルマに執心していたんで。スー・チーさんに」という電話があり、その数に驚いたものです。

 ときどき行く鰻屋さんの御主人が、何十年も文春を読んでいて無口ですが、知性人であることも知りました。しばらくはビルマやスー・チーさんの応援者から問いあわせがありました。

 関心の深さに驚きました。

 そんなことから私はビルマ、スー・チーさんと親しいと言われるようになりました。またビルマ人が事務所にきて保証人の依頼や行事についての打合せをしたりするので人目にもついていたのです。こうして私の周囲、私の活動の周囲にビルマの軍事政権やスー・チーさんの民主化運動が知れ渡るようになり、一国が民主化されていく過程が薄々と理解されるようになっていくのです。私が文春に書いた題目は『スー・チーホリック』でした。ホリックとは病気という意味です。


2012年3月24日 記