2023年7月17日掲載

剣道と44年の付き合い

【15】修業・しゅうぎょうと修行・しゅぎょう

尽きることのない繰り返し

 修業といえば小学校6年間、中学校3年間の卒業証書を思い出す。「6年間の課程を修了したことを証する」という文字が書いてあった。ある期間に学問、技芸を身に付けることを集中的に努力することである。修行が修業と違うのは、期間がないところである。

 期間が設けられないということは、形態、形式ではつかみ取れない心の発展まで志向しているからである。個人の心は表から見えない。例えば修業は課程を終えたかどうかを、期間を切って点検できる。小、中学校の修業証書、卒業証書である。ところが、修行は期間がないので、確かめようがない。道を断ったり、変えない限り、死ぬまで修行である。

 剣道は修行である。修業ではない。今出来たことが直ぐに出来なくなる。この繰り返しを続けていると、いつの間にか出来るようになっている。螺旋階段を上っていると、同じところを回っているようでもいつの間にか高いところに出ていることがある。この状態である。

素振りにいえること

 剣道をする人は、誰もが素振りをする。基本の基本である。この素振りにも、意味を持たせると奥深いことが分かる。第11回に書いたように打突を確実なものにするために、素振りは大切である。小指半掛けの小さな筋肉から大きな筋肉への連鎖、スピードある振りのための体幹の使い方など一遍に行わなければならない。意識した打突から、無意識の打突が出来るようになるまで繰り返すことになる。この習慣性が、稽古の神髄ではないだろうか。思わずとも、出来る。行えば、出来ている。歩く時の左右の足の運びと同じである。考えて足を出してはいない。おろそかにしがちな、素振りに基本から取り組むことが大事である。

 朝の日課に、素振り50本を加えても、5分である。一週間で35分。一カ月で二時間を超す。5分は大切である。毎日やると、気付きがある。工夫がある。これが進歩の基礎である。

 また楽しい。意味を理解できていなかった、素振りが楽しくなれば、一皮むけた剣道になる。考える剣道は単純と思われた素振りの中にある。これに早く気が付くことが大切である。修行という証明書の出ない、無限の務めに自分を置きつずけられる継続する精神力が大切と言える。

2023年5月 記