わだむねのピリリ一言

修業論(連載3/3)

―素質が大事と芝翫さん―

 10月1日は名誉都民顕彰式後に、歌舞伎の中村芝翫さんに1回目に書きました福岡さんの1万時間論の感想をお聞きしました。
 隣にいた石原知事はすぐさま、「感覚、センスも必要ですな」と応じました。
 染色家の安達雅一さん「内弟子になりたい女性が多く訪ねてきますが、完成したものに憧れていて、それにいたる苦労を忘れている人が多いのでこまっています」芝翫さんは「ですから素質のない人には諦めることを直言することも指導者の任務です」といっていました。私もただ1万時間かければ一流の技術が身につくとは思っていません。もともとの素養というか資質がなければ、重ねた努力の1万時間は無駄といえましょう。しかし素人から35才で剣道をはじめた私はこう考えます。
 たとえば天稟の素質に欠けていたとしても、1万時間を続ける気力、体力、目的意識があることで進歩していくのではないでしょうか。
 ここに半径10mの螺旋階段があります。
 その勾配が10cmだとすれば一回転しても体にはほぼ平地を歩いているのと同じ負担、意識ではないでしょうか。
 知らない間に10cm高みに昇っていることになるのです。私たち本人にすると求める気があることが素質があることで、その気が途切れないかぎり進歩はつづくと考えたいのです。

―われわれは生きて努力が素質―

 結果として、その道で食べていけない、指導者的立場になれないとしても一流という立場にあると考えたいのです。
 素質があっても早逝してしまった幾多の天才がいました。その人が存命なら斬界はどう変化したかと慨嘆する声なども聞くことがあります。生きていま努力していることが大切です。
 要はその道を志して、脇見をせずに1万時間、力んだ表現では執念をもって続ける、また力まずとも飄々と30年近く続ける。という気持を保持できることが大切だと思うのです。
 資質とは気持を変えずもち続ける継続の力(体力、気力)ではないでしょうか。
 ただ同じ席で芝翫さんがもう一つ重要なことを指摘していました。それは敏捷性です。
 「すばやく反応して動けること、これも素質でしょうか」とおっしゃるのです。
 その技術の中にあって何が重要でツボということを見抜く力があって敏捷に動けます。
 その感覚はもしかすると素質、天分かもしれません。
 私が提起しました修業論は福田さんの一万時間から始まり、素質の有無などが絡んだものとなりました。
 読者のお考えもありましょうし、初心者などは一素質と云々にされると、やる気さえもなくしてしまうという方もでるかもしれません。
 しかし、それはそれ、私のいう素質すなわち継続する力という風に考えれば克服できる機会ともなるのではないでしょうか。
 心機一転、習い事を始めるにふさわしい秋です。計画的にお考えのうえで事をすすめてください。修業中の方には雑音だったかもしれません。3回見ていただきありがとうございました。ご感想をお待ちします。

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