世論でなく輿論を!(連載3/4)
―輿論と視聴質―
私の提案から二週間が過ぎました。あなたが使者として世論(セロン)と輿論(ヨロン)の読み方とその意味を数々の方に伝えてくださっていると思います。大河の一滴を自覚して日々の努力をお互いにしてまいりましょう。
さて輿論は時間をかけた言説、論説といってよく、月刊誌のような存在と考えたらよいでしょう。あるいは四ヶ月に一回の季刊誌のようなものです。
寒い暑い、好き嫌い、といったまったくの感覚で判断する世論とは異なります。
理解し、納得する領域にあって感覚や感情を越えた理性や知性で判断するのが輿論です。
したがって輿論は即時的に結論が出るものではなく、思考がともなう時間がともなう知的作業であるということです。例をとります。むかしから友人に絶交の書簡を送る時は、投簡せずに一晩手元に置け、といわれます。感情に任せた瞬間的な判断を冷ますことを指摘しているのでしょう。
さて世論(セロン)と輿論(ヨロン)をもう一つの要素で分析してみます。
テレビでいう視聴率と私のいう視聴質とは世論と輿論の関係です。
視聴率は対象とする家の何%が番組やコマーシャルを視聴しているかの百分比です。申すまでもありません、これは世論です。単純に数、量を計るものです。しかし視聴質は同様の条件で、その内容を理解しつつ批判しつつ視ているかの内容や中身の百分比です。NHKをはじめテレビは視聴率を求めて番組をつくり、テレビ局、ラジオ局の存在をかけて競争しています。いかに長くチヤンネルを回させないかが目的です。立ち止って考えるためにスイッチを切ったり入れたりする行動には困難がともないます。つまり批判し判断して視つづけるか、切るか、回すかの主体的判断が視聴質なのです。この視聴質の概念が、テレビ、ラジオに対抗しないかぎり、目と耳から感覚や感情へと抜けていく視聴率の世界から脱却はできません。
ここに、世論(セロン)と視聴率、輿論(ヨロン)と視聴質の共通性が確認できるのです。すなわち条件反射の世論。視て感覚、感情で移入する視聴率。時間をかけ理解、納得する輿論。思考し判断する視聴質。
私たちはテレビ、ラジオ社会とのつきあい方、視聴質のあり方を再考すべき時にきています。世論、輿論と深くつながっています。次回最終回は輿論形成の方法について考えましょう。 |