2013年7月5日掲載
ネット選挙への疑問(1)
—中傷、非難が心配—
4日から始まる参院選からインターネットによる選挙運動が可能となります。しかし、未成年者はインターネットを使って、ツイッターなどで運動することはできません。有権者でなければ選挙活動にインターネットは使えません。
そこが理解されていないふしがあり、選管の大本である総務省は徹底に頭を痛めているようです。
もともと選挙は国や地方自治体の議員を選出するものです。ですから候補者がどんな人物で何を考えているのか、などは直接接触して把握しなければなりません。それでも嘘や虚飾はつきものです。当選したければそれなりの水増しをしたくなるのは人情です。たとえば経歴をよく見せようとすることなどです。
—政治はかけ引き—
そこで有権者と候補者のかけ引きが出てきます。
それこそが洞察力、想像力をつける有権者の側からの政治教育です。人物、人間を見抜く力。それは商売、会社、学校、家庭でも培われる事実を見抜く力といってよいでしょう。だまされても回数を経て力をつけていくことで、人間ができてくるのです。世間通(せけんつう)ということもできます。
それは架空のインターネットではできません。
指先で思うだけでできることではないのです。
—完成からはじまる—
町に出てその町の政治、行政を知ることからはじまります。空気が澄んでいるか、深呼吸。美観が整っていてイタズラ書きがないか。図書館への道は整っているいるか。子どもたちは元気な声で遊んでいるか。高齢者が、障がい者が町中をゆっくり歩いているか。青年の目は輝いているか。女性は明るい声で語りあっているか。観察することで政治、政治家、行政、行政家がしっかり働いているかの予想はつきます。いわゆるこれらの情報はインターネットで得られるものではありません。あくまで自分個人の見方、感じ方、価値観が問われる評価を選挙というのですから、人間の感受性から出てくるものです。
—インターネットは非人間的—
1日に都知事にツイッターで「盗作」と書き込まれた脚本家が知事に損害賠償を求めて東京地裁の口頭弁論で裁判長が「盗作の表現は望ましくない」と削除を促しています。これなども手書きで報道機関に投稿されるような場合があったら軽々しく広がることはなかったのかもしれません。
日頃のその人間と異なった側面が奔流してきて書かせてしまう衝動が働いてしまうのでしょう。
そうです。別の人間が登場するのです。そうでなければ口汚く書き散らす非難がインターネットに蝟集するわけがありません。人間性を変質させるのです。
インターネット選挙は、ますます人間性を卑しめます。それは当選させよう、させまいとする欲望や権力と結びついているからです。
時の流れに身を任せるという安直な危険があります。
2013年7月3日 記
