わだむねのピリリ一言

2012年5月8日掲載

塾で政治が学べるか?(2|3)

 塾という人間関係をつくる入れ物にはいろいろあります。大きくは慶應義塾大学からかつての私の論語塾まで。

 人と人との交わりから、師弟の絆から互いに影響を受ける関係になります。孔子のわれわれに残した財産は難しい理屈ではなくて、ただ一つです。それは礼です。人の葬り方からはじまり、自然とのつきあい方にいたるまで礼の考え方からその手順までを細かく配慮することを歴史のなかで、日常生活のなかで問いかけ、答えを出しています。また顔回などからも素直に指摘をうけています。また定まらない孔子に対する諸侯の評価から弟子をつれて就職のため放浪して歩く時期も長かったのです。理屈や礼だけで食べていくことは辛い時代でした。

 とにかく生きて、そのうえで信念を貫くためには苛烈な魂がなければなりません。その手本が孔子だったのです。回天の明治時代まで時代にかかわった人で孔子の影響をうけなかった人はいません。渋沢栄一という商売人、経済人でさえ「論語と算盤」という本をのこしています。

―変える環境、変える勇気―

 さて、塾を成功させた孔子のあり様をみていると、いかに今われわれの目前にあらわれている「塾なるもの」が上すべりの軽々しいものかわかります。その特徴をみます。

 まず目の前の欲望を自分たちなりに満たすことのための集団ということです。

 まず出発点では天下国家のためという動機と目的を掲げてもすぐに消え去って、多数の人間を集めるための手段となるのです。目的と違ってきたら解散、分解すればよいのですが、惜しくなって手段と目的を混同したまま、存在してしまうのです。原則のままいかない、目的が変わってもそのままという形でいるのです。塾は目的集団でなければ意義がありません。

 次に自分を磨く砥石を求めているのではなく、そこに集うだけの集団ということです。

 その人物や集団の側にいて匂いをかぐだけで、自分が刺激され、変化しなければならないと思うくらいに恋いこがれる空腹感のともなわない表面の上の塾ということです。

―実践の動機を養う―

 幸田露伴も新しい自分をつくる時は、尊敬する人の一挙手一投足を自分のものにするくらいの時間をかけなさい、と教えます。一体化するまで真似て、自分を捨てるのです。塾が自分を捨てるところまで要求する(砥石)となり、自分もかつての自分を捨てるために磨かれる(道具)となってはじめて塾は成立します。

 簡単に塾を名乗る松下政経塾、維新政治塾、その他私の塾もふくめてその源を理解しているのかということです。

 それぞれが道具と砥石になって変えられる喜びと変える勇気がないのに塾を名乗ることは塾のあそびにすぎません。孔子がわが国で唯一、塾として認めたと私が思う松下村塾の吉田松陰の一途を実践してこそ塾だといえます。

 松陰は実践して死を受け入れました。その弟子の伊藤博文などは生きながら、明治政府に生をかけ、博文は殺されるのです。

 死を賭すこと、もとより職を賭す覚悟をもち、それを実践、実行して塾といえます。数をあつめるだけの表面上の塾はどぶ川の泡のようにぶくぶくと沸きあがってきても所詮、破裂して消えていくのです。民主政治が政治を行う人の心の清らかさや行動の気高さを求めず、ただひたすら西欧風の数の競争に没頭するのでこうなるのです。

 そして、吉田松陰の思想、行動は知っても、それを理解して実践の機会を待って日々の行動や覚悟を重ねるということはしないし、できないのです。それでも「塾」を表明し、語るのです。塾を語るとき恥を知っていることも大事です。自らの言動を振りかえり、その足跡に一貫性があるかを、いつも点検する厳しさがなければなりません。

【次回へ】

5月8日 記

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