わだむねのピリリ一言

2012年5月20日掲載

塾で政治が学べるか?(3|3)

 いまでも人生の、生き方を示唆する孔子の言説と行動をみると孔子自身の満足できるものではありませんでした。魯国を出て放浪する間に悩み励ましつつあるところからうめき声とともに引き出されたものが論語です。成功者のものではないのです。いつも「こうしたい、こうしたら」という前に向かって、問い訴える姿に人は打たれるのです。

 いわゆる処世術ではないのです。処世術では孔子は出世しているにちがいありません。口説の徒としてです。しかしそこに天の意識があります。人知をこえた絶対を置いています。したがって自分たち人間が、時間的、能力的に有限であることを覚悟しています。そこからどう生命を尽くして道理を実践していくのか、です。

―孤立をおそれず―

 孔子にしても松陰にしても錐の先端のような立場でした。強固な錐が木に穴を開けるのと同じで、すべての力が先端に集中しますから、外部からの抵抗も激しいのです。

 孔子も松陰もいわゆる成功者ではありません。地位や財産を残したわけではありません。

 松陰は28才で死にます。彼らは塾を構えて純粋な教えを説きました。

 彼らと塾生の間には何もありません。世界、世間、利害、欲望は介在しません。塾主の孔子、松陰は純粋な教えを伝えます。しかし弟子たちは純度が塾主たちと違います。当然のことながらレベルは落ちます。

 その純度の落ちたところに、処世が入りこんできて上手に世渡りをしていくのです。孔子、松陰の弟子たちの人生を見れば塾主の強い信念を持てないながらも、彼らは国家、世間に警鐘を打ちます。

 塾主の最期を見とどけているだけに、それをよき手本として生きる術を身につけていったのです。

 塾主の孔子、松陰は弟子たちに囲まれていても、あくまで本人だけの純度で世を憂えて、孤立していたのです。

―人を愛せるか―

 慶応義塾大学といっても福沢諭吉がつくった時はともかく、いまは名前だけの塾です。松下政経塾にしても維新政治塾にしてもそこで塾主の何を学び実践する勇気を身につけたか、というよりも世間で話題の塾に所属していたという履歴欲しさのためとしか思えません。そこにいって肩書をもらうという弟子に孔子、松陰は満足するはずもありません。毎朝駅前に立っていることで実践しているといって、孔子、松陰がほめてくれるわけではありません。

 彼らは大きくは国家、世間の矛盾を憂い、怒っていても行なうことは小さな人を愛することの実践を求めています。人間を愛するがゆえにそれを囲っている国家、世間に歪みがあることを許せずに一人で立ちあがったのです。

 塾とはそれを設立した人物に心酔し、尊敬し、その行為を真似て自分も塾主になりかわるほどの人間関係をつくるものです。

 こちら側が変えられようと積極的に働きかける気持のある関係なのです。

 孔子、松陰の例を出しましたが、上辺だけしたがって他人の目を意識した塾に塾のもともとの真面目さはありません。もっと目立たず、文字通りに陰徳をつんでいるはずです。目立ちたがることですでに失格です。ゴミ一つ拾うのにも信念をもって、てらいもなく行える人が集い、政治を語り実践する人々の集団を塾というのです。大詩人で政治家でもあったゲーテは「自分の家の前を掃除しましょう。」と言っています。

【完】

5月17日 記

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