2012年5月5日掲載 塾で政治が学べるか?(1|3)4月から出前都政塾をやっています。振り返れば学生時代に「人間論語塾」と看板をあげて小・中学生に論語を唱和して解説していた時期もありましたから、二度目の塾です。論語塾はあれから40年近くたっても、当時の塾生があの勉強は楽しかった今でも「しのたまわく…」は暗唱できます。また息子にも時には憶えさせています、という声も聴くのです。当時は昭和40年前後の経済成長と社会不安がないまぜになっていた頃です。学園紛争も盛んでした。私は流動より確定という考えでしたから俳人の高浜虚子が「去年今年(こぞことし)つらぬく棒の如きもの」と目に見えない時間の移りを棒にたとえましたが、私は時代をつらぬくものは過去から今日にまで残っている真実であると思っていました。そこで数千年伝えられてきた聖書や論語に興味を持ったのです。 そして論語を選んで、論語塾となったのです。
さて私の都政塾もそうですが、塾流行の観が政界にはあります。少し古い松下政経塾、維新塾など雨後の筍が次の衆院選、参院選を目指して誕生しています。私はこの種の塾に参加したことがありませんから、授業内容は知りません。 憲法などの法律、経済の実態、国際情勢などテレビやメディアで名のある立派な講師が指導しているのでしょう。しかし、その期間は長くて1、2年、短ければ数回の講義と演説技術で終わりでしょう。いわばその名の塾に籍を置いたという飾りの使用権を使える特典を与えられるということです。中身ではなく包装紙のようなものです。中身が数年、数回の講義で自分のものになるわけがありません。有名百貨店の包装紙が街場の包装紙より目立つのと同じです。世の中が見てくれ、見せ方で評価を下すような上辺の世相になっています。政治は世につれ、世は政治につれのくされ縁になっています。 5月4日 記 |