2025年6月28日掲載
政治は狂人のおもちゃにもなる
私たちはあまりに観念的に、きれいごとの政治を生きてきたのではないか。
戦後80年という。戦争を間近かで体験した人々の多くは、泉下の人となってしまった。いま私は81歳、戦争は知らないが、戦後のひもじさや粗末な生活には記憶がある。何かに追われて子どもの時期を過ごしたように思う。あの早く、早くとせっつかれる声は今も背後にあるような気がする。同時代の人に確認した訳ではないが、おなじ世代の共通の意識ではなかろうか。しかしいま、子どもが、死んだ幼児を背負って、焼き場で順番を待っている戦争中の写真を見ると、自分が背負っているような錯覚がする。こんな戦争を起こした時代、政治はどんな役割をしていたのか。軍隊という武器を持った正式に人殺しを認められた人間たちが、聖戦といって、戦争を要求し、賛美し、蛮声を挙げて尻ごみする国民を追い立てたのである。そして国民もついていったのである。
日本の憲法を世界に問いかける時だ
いまこの時にロシアとウクライナの、イランとイスラエルの戦争が激しくなっている。トランプ大統領という、プーチン大統領という大国のはっきり言えば狂人によって地球は脅かされている。いま現在、第三次世界大戦に入ったということも言える。
大谷フィーバー、都議選、参院選という前に地球のいまを考える時だ。わたしは日本国憲法を守る、したがって戦争放棄の立場で憲法を世界の法律の基本とするべきである、と唱えてきた。甘ちょろい書生論と言われても集会では、憲法前文を参加者全員で、声を出して唱和して自他ともに言い交してきた。絵空事ではない、本気になって日本国憲法の実践の時期が今だと思う。
2025年6月23日 記