2018年7月10日掲載

衆愚政治が始まっている!
変化の中に安定を、安定の中に変化を!

—組合せを間違わない—

 別にいま熱を帯びているサッカーに水を差すわけではない。ロシアと時差があるので、終電に乗れない人も多くいるという。

 それぞれが日常に支障がなければよい。なによりも他人の趣味である。

 しかし群集心理は面白い。ゴールキーパーの川島選手の判断から失点した時の川島非難。そして見事に守護した時の称賛。手の平を返すとはこの事だ。

 非難、称賛ともに感情むき出しの態度である。

 事例は違うが、「勝てば官軍、敗ければ賊軍」のスポーツ版だ。これほど大衆心理を現わしているものはない。

—ナチズムを垣間見る思い—

 ドイツ国民がヒトラーの音楽、スポーツの政略に乗せられて、「ハイル・ヒトラー」と熱狂した時と同じ風が吹いている。世界の政治状況も、子どもじみたトランプ大統領、叛逆を恐れる金日恩が相互の延命策を利用しあって米朝会談を持った。今年になって誰もが考えつかない奇策である。

 米朝ともに権力を一人に集中する体制を悪用したのが現状である。この悪用をあたかも権力の現実として肯定しようとする世論(せろん)が危険である。

 安倍、トランプそれぞれ個人的な疑惑がありながら、その座に居られることが大衆心理の恐ろしさである。

 トランプにしても、安倍にしても世論(せろん)調査で、支持率が下がっていないことがその証左である。

 こんな世界情勢を反映して世界中で暴力すなわち負の権力行使が日常となってきた。アメリカの銃乱射事件、日本の子どもへの虐待事件など言い交わしたように乱発してきた。いわゆる空気が広がってきている。この説明のつかない雰囲気は私たちを不安に駆りたてる。そして感情をむき出しにした攻撃性の強い社会を生み出していくのだ。その結果のナチズム、軍国化である。

 いま日本はその途上にはいないのか。安倍政権をはじめ、経済界、教育界の赤裸裸な現状追認がある。

 今こそ安定の中に必要な変化を求める時。そして不安を駆りたてる変化の中にこそ安定を求める良識が必要なのである。

 生け贄を求める大衆心理、群集心理の危険を意識する時代に入ってきた。

 衆愚政治は始まっているのかもしれない。

2018年6月30日 記