2018年6月28日掲載

野次を抑えられない議員心理

—悲しい嫉妬心のあらわれ—

 国会の厚生労働委員会で自民党の議員が、肺ガン患者が意見陳述をしていたら、「もういい加減にしろよ」と野次り、その後謝罪した、という。国会で呼んできてもらっている、いわばお客様にこの発言は非礼極まりない。そもそも野次、それも議会ではまったく不規則発言として認められていず、慎むべきものです。正式な議事録に残らないので、無責任に大きな声で発言者に届くように呼ぶように野次るのです。

—遊園地にいる幼児の気分—

 この心理を分析すると次のようになります。(1)対抗する政治姿勢の政党、政治家への牽制。(2)自分が発言しない劣意からの嫉妬、やっかみ。(3)議会、自分の会派内への元気さの誇示。などが挙げられます。特に野次将軍などという政界用語があるように、新人議員などの役割となっているふしがあります。

 どの議会でも性差別、人権差別など発言者本人の本音の発言が、野次に込められていることが問題です。委員会、本会議に座る議員心理は、特権といわないまでも高揚した気分で他党の議員の発言を聞いています。そこで自分と異なる意見に口を挟みたくなって野次ります。傍聴していると耳に届かない野次もありますが、それはお粗末で議場の失笑を買うようなものばかりです。時に知事、区長など行政側も自分たちの支持しない人には、野次を飛ばすこともあります。議長が会議を仕切って注意しても、強要はできません。そうなると野次の応酬となって、まるで遊園地で遊ぶ幼稚園児たちのドタバタ騒ぎと同じです。

 たった一人の議員の発言であっても、選んだ住民、数千人、数万人の代表、代理であれば、大集団の国につながる政党会派と同じ権威が保証されているわけです。したがって平等な発言が許されます。対抗勢力や少数派という環境の議員の発言であっても、静かに聞いて参考、勉強の機会にすべきです。

 野次を許している議会の寒寒しい雰囲気は、異論を封じ、民主主義に反します。

 ここでも議員、議会の品位、選ばれた人の教養が、その議会の程度を物語ることになります。

2018年6月23日 記