2018年7月11日掲載

情報に漂流する私たち

—オウム真理教関係者の死刑—

 7月6日に麻原元オウム真理教代表をはじめ7名の死刑が執行された。犯罪被害者の立場からは遅すぎた執行であろう。

 死刑執行された中には、知識豊かな信者もいたという。めまぐるしく変化する社会にあって、自分の行く末に不安を感ずる人の多くにつけこんで、信者になるように勧誘し、排他思想を植えつけていくやり方で洗脳していった。こんな時、自分ならどうすると考える。

 極論だが「ヘソ曲り」に徹することだ。誰が何と言っても自分は加わらない、参加しない、という覚悟を持つことだ。物わかりがいいと必ず引き込まれる。○○商法の口車に載せられるのと同じだ。オレオレ詐欺の手口と同じだ。きっぱりと断わる。自分の見覚を捨てることだ。いま世間は一人でいることに不安をもたらすように動いている。みなさんはこんな薬を飲んでいますよ、こんな運動器具を使って足腰を鍛えていますよ、と甘い猫なで声で誘う。それにのっている人が多い。

—人は人、自分は自分—

 こんな時こそ、私は私、人は人という考えを自分にも言い聞かせ、人にも言うべきだ。

 嫌われることを避けて、不本意な付き合いが断われない。仲間外れにされるのが恐いので、不承ながら飲み会に出る。

 人につられ、流されて人生を送っている人が、この頃多いように思う。神経質に携帯電話のメールなどに返事を書き込むことが常識になっている。遅れると相手に悪く思われると予想しているのだ。

 街頭で勧誘する商法が絶えないのは、それが成功する確率があるからだろう。

 宗教を含めて自分の考えをしっかりと相手に伝えるところから自分の人生を作っていくべきだ。自分は自分という独立心に富んだ人間になっていくことから、オウム事件の教訓は生かされていく。

2018年7月7日 記