2013年10月12日掲載
五輪招致と村上春樹
—なんでも祭り騒ぎにする愚かさ—
五輪騒動は純粋なスポーツではなく、政治、経済の側面を濃くして商業となりました。そして招致のために安倍首相は福島第一原発の対策は完璧と国際的な嘘を言いました。国民は何も抗議していません。日本のためについた正しい嘘とでも考えているのでしょうか。
その一方で汚染水は放射能濃度の濃いものが、たれ流しされています。これも抗議していません。
国民は麻痺して、あるいは忘れてしまったのでしょう。五輪招致を不景気対策に利用しようとする政治は、その流れに邪魔となる汚染水などは隠しておきたいのです。そして国民もそれで良しとしているのです。後始末よりも前にある獲物に注目させて、忘れさせる策なのです。ここで安倍政権とあえていわないのはどこの政党が政権についても同じ手を使うからです。
そのような本能を見抜く力が国民になければなりません。五輪を楽しみ期待する脳と考える脳は違うのでしょう。そして村上春樹のノーベル賞期待です。10月10日に受賞とはなりませんでした。
これも薄っぺらい話です。よく読まれている証しの出版部数では、本屋を喜ばすほど出ているようです。しかし毎年この時期に村上が受賞か、と騒ぐほど村上小説を理解しているのでしょうか。ノーベル賞は小説の価値を決める一つの目盛でしょう。しかし自然科学の解明と違って感性を扱うのですから個人個人の評論にまかせるべきものです。ノーベル文学賞もそのように決まるべきものでノーベル賞を受けた作品だから自分にとって価値が出てくるものではありません。ただノーベル賞を取ったから、という事実だけでしょう。
どちらにしても自分で五輪、ノーベル賞の価値を決めるのではなく、五輪が来る、ノーベル賞を取ったということの表面に動かされているにすぎません。
それよりも五輪が来るということで東京を化粧するために、」まだ傷んでいない、使える道路、公共施設の改修や新設が私たちの身の回りでそろそろ始まります。
五輪騒動は招致で終わらず、これから便乗する諸現象が始まります、。
さらに村上騒動は、電車の中で大人が読むマンガを小説に切り替えさせるまでの力になれるのか、ということです。
どちらも表面の現象で大騒ぎするだけでなく、その奥に含まれている要素を見抜く力を国民が身につける必要があります。
日本は底の浅い国、国民になりつつあるような気がします。
何のための五輪、何のためのノーベル賞なのか、私たちの現在の生活とどう関わるのか。問いかけてみる価値があります。
2013年10月11日 記
