2013年9月29日掲載
オリンピック・パラリンピックを立ちどまって考える
—個人か、国家か—
オリンピック・パラリンピック総会に皇室、首相まで行って招致活動をして、2020年の東京開催が決まりました。
しかし、近代オリンピックを実施したクーベルタンは国の競争ではなく個人の資格で参加するものと考えていました。1904年の第3回セントルイス大会までです。次のロンドンから各国のオリンピック委員会が、代表選手を決めて参加するようになり、開会式の入場行進も、国旗を持って行われるようになりました。
—国と国の競争—
この大会で米国と英国が競り合って審判の判定で対立したりして、五輪が国と国の戦というようになりました。その結果、国旗、国歌をどうするかの問題も出てくるようになりました。
国際オリンピック委員会も対応していました。
52〜72年まで会長を務めたブランデージはIOC総会で、国歌を五輪ファンファーレにする提案を行なっています。
そして63年の総会では規約の変更に必要な3分の2まで行かないながらも賛成26票、反対26票までになったこともありました。
次の会長のキラニンも努力しました。
ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して日本も不参加を決めた80年のモスクワ大会に参加した西側の国で、表彰式で五輪旗を使用した選手がいました。政治を五輪大会に持ち込まない、持ち込みたくないという意思の表れだったのです。
表彰台での金、銀、銅を表示する時の国旗、国歌も決まった規則ではないことです。
—個人がもともと主—
国家が個人より上に立って、メダル数を目標に掲げて国民を先導するようなことが、オリンピック・パラリンピック大会であってはならないのです。
基本原則を知らないと、オリンピック・パラリンピックが商業主義、国威発揚に利用されることになります。
ドイツのヒトラーは当時のベルリン・オリンピックを上手に利用して国威発揚して何を目指したのでしょうか。
2013年9月27日 記
