2013年6月27日掲載
ブログの恐ろしさ
—ある地方議員の自殺—
25日に岩手県議が一戸町で死亡しているのが発見されました。県議は病院で番号で呼ばれたことに怒り、ブログに「ここは刑務所か」「会計をすっぽかして帰った」と記していました。それがネット上で「県議にふさわしくない」と批判がひろがり、県議はブログを閉鎖してしまいました。また17日には記者会見して謝罪していました。
このことから考えさせられることは、ネットの持っている迅速さと軽さと恐ろしさです。
まずこの地方議員が、自分のとった行動をだれが読むのかもしれないブログに公表したことです。公表することの反響などを推量しなかったのでしょうか。
自分の感情にまかせた記事表現の結果として、どのように非難が来ても受けとめる強さや受け流す要領を持っていなければならなかったはずでした。
病院であった言動は事実であったかもしれませんが、それをブログで公表しなければ自殺までにならなかったでしょう。
—インターネットの闇—
なぜ自殺までしてしまったのでしょうか。万年筆や鉛筆を持って紙に書く行為と、パソコンに向かってパチパチと打ち込む行為にはたしかに違いがあります。
表意文字、表音文字など数十年にわたって脳に埋め込んできたものを、印としての記号に置き換えて自分が相手に送るのです。反射的になり、迅速であっても、戸惑いや配慮のないものになります。
ここに闇が潜んでいます。
ブログで意見、感情を吐き出すことに慣れた人はその反響にも慣れていると思うのですが、この県議はそうではなかったのでしょう。
こちらも反射、あちらも反射と割り切ればよいのですが、それを受けとめる時には一斉に賞賛も批判、反発も来ます。賞賛はともかく、批判などには個人では耐えられなくなるのです。そこで混乱して自殺という極限の事態になります。
この県議のブログ発言には問題があります。しかしこれが新聞の投稿欄であったとすれば、そもそも書き記す間に冷静になっていたかもしれません。また新聞社が取りあげなかったかもしれません。また掲載されてもその批判はまたある種のろ過装置を通ったものでありましょう。
それがいままでの社会でしたが、そのろ過装置がなくなって直接に情報をぶつけあうことの厳しさが生じるようになりました。
これからもこのような悲劇が日常化してくるのでしょうか。便利さの側にある恐ろしさを痛感させられた事柄でした。
私は原稿用紙と万年筆派ですので筆禍はあるかもしれませんが、ブログでの舌禍(?)による自殺はないかもしれません。闇の中で覆面をした人に取り囲まれて、攻撃されている地方議員の姿が浮かんできて、悲しくなります。痛ましい出来事にこれからの情報化社会の不安を感じました。
合掌
2013年6月27日 記
