わだむねのピリリ一言

2013年3月20日掲載

政治家と「知性」

 中村桂子(JT生命誌研究館館長)が新聞に書いていたことに触れて、私の意見を書こうと思います。彼女はギリシャのプラトンが政治家になろうと思っていた28才の時に、正義の人と思っていたソクラテスが国法のもとに死刑を宣告され毒杯を仰いだとされています。衝撃を受けた彼は勉強して「国の統治にあたる者は、知を希求してやまない哲学者でなければならない」という結論を得ました。そこでその教育の場としてアカデミアを創設しました。それがいまでもアカデミーという言葉に生かされているのです。
 要するに学んだことを、社会に生かそうと真剣に行動しているかどうかということが私たちに問われているのです。いたずらに選挙に当選するために動き回り、大声で注目を集めることに精力を集めることに関心を持つ政治家予備軍がいる現実があります。このこととプラトンの知性との関係を考えますと、その距離の遠さに驚きます。
 政治家になろうとして駅前に何時間も、何日間も立っていることが目的となっている人が知性を持てるとは思えません。
 駅に立つことが目的であれば、資料を読み、考え、代案を打ち出す時間も体力もあるわけがありません。議員が議会で働くのは体力ではなくプラトンのいう知性です。そんな人を政治家に育て、そんな政治家を現場に送り返すことが大切です。
 知性が選挙の選択肢になるような国や東京にしたいものです。
 あなたはどう考えますか。お知らせください。

2013年3月17日 記

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