わだむねのピリリ一言

2012年8月31日掲載

虚しいおしゃべり社会【番外編】

―筑紫も、古舘も―

 前回、世界でいちばん短い会話については、書きました。メールのない時代ですから、文字での交流でした。

 では、正確な会話で最短の意志交流の言葉は何かといいますと、それは「どさ」、「ゆさ」です。私はそう思ってきました。

 「?」と「!」。につづく言葉はお分かりですか。東北の人ならばすぐわかります。それは雪を防ぐ「かいまき」などをかぶって声の伝わりにくいところでの会話。

 「どさ」すなわち「どこへ行くのさ」と聞き、「ゆさ」すなわち「公衆浴場に行く」という意味の「湯さ」になるのです。

 このように深い中身があるとだれも考えないでしょう。機関銃のように早口でしゃべくることを芸と自認してマスコミで名を出したもので、話芸で伝説となるような生き方をした人がいるのか。

 いまテレビで自分の番組を持っている古舘伊知郎でも、ただのしゃべくり屋にすぎません。決められた客相の決められた時間のなかで、スポンサーの御機嫌にそった表現をしているのです。それは歴代の筑紫哲也や久米宏がどれほど反体制のふりをしながら自分の身に利益をもたらしたかは、だれかが言っているのではないでしょうか。

 そこには孔子の言う「おしゃべり者には、人に温かみを与えない」という言葉があると思うのです。かいつまんで言えば筑紫や久米も一見は社会正義や人権を代表しているふりをしていても、自分がかわいくて生きていたということです。その場で吐いていた言葉が誠ならば、辞めた後は発言と自分の生き方の間をうめなければと悩むはずです。

 それをなくして、のほほんと生きている、筑紫は死にましたが、久米宏はどこかに恥ずかしさや気遅れを知らなければならないはずです。久米さん、あなたはテレビで言っていたことを、すこしでも実行していますか、言葉を幼児の積木のように遊び道具にしていることは、きれいごとを言った人間の取るべき態度ではありません。テレビや発言の場を与えられた人間の節度のない開き直りのとても考えられない姿です。

 しゃべくった人間の責任を問わない気軽な社会は、ますます言葉、人間の生き方に不誠実になっていきます。

8月29日 記

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