4月12日掲載
あっしにゃあ 関わりのねぇことでござんす 〜木枯紋次郎〜【3】
都庁への行き帰りにはJRの埼京線を使っています。正午前後は空いていますが、よく利用されています。その車内でのことです。十条駅の最後尾に乗ると都庁へ行くのに便利です。
その車内はやはり混んでいます。みんなが狙うからでしょう。さて、列車に乗ると10人中6〜7人はスマートフォンを見て操作しています。片手にバッグ、片手にスマホですからつり革を持つ手がありません。そこで車両の揺れをそのまま隣りの人に接触します。それでもスマホに夢中です。つり革を持つ人が防波堤のようにその人の不安定を支えているようなものです。男女、老若を問わず水中の藻のようになります。
―椅子の背もたれではない―
自分の興味のあるスマホだけに注意を払い、身体は他人の壁で均衡を保っています。普通であれば身体に触れられて嫌がる若い女性でも、自分のスマホに熱中の時は別です。フラフラを他人の身体で守れるので平気です。自分勝手です。
まかり間違えば痴漢と騒ぎ出すような場面であってもスマホがあれば関心外です。困ったことです。
他人を考えず自分だけを考え主張する現代がそのまま車内には縮図となっています。
こんな場面に遭遇した時には茨木のり子さんの「倚りかからず」を口ずさむのです。詩の唱えるところは、戦前、戦中、戦後と生きてきて頼れるのは椅子の背もたれだけ、という落ちです。
―本然たる自分を出せ―
この女性詩人の一人の人間としての格調の高い自分らしさ、依存しない強さをスマホは融け失せさせてしまったのです。便利もいい、迅速もいい、しかし、その蔭で窮屈な思いをしている人間の本然たる生き方がこうつぶやいていることを聞かなければなりません。携帯電話ができ公衆電話が消え、新幹線ができローカル線が消え、大手スーパーができ個店の八百屋が消え、パネル張りの三階建てができ、木造平屋が消えすべてが変わりました。その変わり様と同じに幸福が増えましたか。その変わり様と同じに隣りとの語らいが増えましたか。頼れるのが椅子の背もたれだけの社会をだれが求めたのですか。
―もう考えはわかった行動だ―
物わかりがよく、社会に同調することだけに気を遣う教育を受けて異論を立てられないあなたや私がこの社会を作ったのです。スマホ、テレビ、雑誌、新聞と情報は世に溢れています。パソコンで指先で地球の裏側との話しもできます。こんなに世の中に知らなくてもすむ情報があって無駄にしています。誰にも均等に与えられて24時間の中でできることは限られています。自分で焦点を絞って自分で行なうことです。他人はどうでもよいのです。自分を一人立ちできるようにしてから、周囲を考えてよいのです。
まず倚りかからず立ち、つり革を自分の意思で持つことです。他人が始めるまで待つのではなく、他人は他人、自分の意思で腕を伸ばして持つことで人生が変わります。
たかがつり革、しかしこのつり革ひとつで生き方が変わります。
4月11日 記
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