わだむねのピリリ一言

3月15日掲載

あっしにゃあ 関わりのねぇことでござんす
〜木枯紋次郎〜【2】

―寂しくて哀しい現代人―

 他人の目を意識しなくてすむ都会、東京がよいという開放感で日本の農村社会の長男後継制から若者をはじめ労働者は東京を目指しました。

 それでもまだ人情や世話やき心理はありました。

 完成に日本人の他人との関わりの心を打ち砕いたのは電気製品です。家族や学校で観にいった映画がテレビに取って代わられた頃から街から室内へ、集団から個人へと情報伝達は変わっていったのです。

 公衆電話から携帯電話もその好例です。

 それよりも何よりも決定的に人間を個人主義に誘導したのはソニーのウォークマンです。これが今日の他人への注意を欠落させる主犯となった器械です。

 それまで家にあったステレオ装置を携帯用のステレオ装置に変換したのです。

 その結果どうなったでしょう。個人の得た便益はいま考えません。社会的にはまず両耳が街の音を遮断することで、注意力が働かなくなりました。外界音がなければ、人や車との接触も当然です。事故が増えました。

 電車の中でも外に音が溢れるほどで、注意書きが車内に掲示されています。

 これにスマートフォンなるものも加わり、一人ですべて解決しているように錯覚してしまいます。こんな様子ですから、一日、一週間にわたって職場以外では一人も直接あって話をしなくても済んでしまうのです。言葉を交わすことなく音なり画面で完了する生活です。人がいなくても生活でき、人と交わらなくても生きている社会。それに個人情報を過剰に守ろうとする法律が加わります。

 どんどん集団が消え、個人が個人から切り離されていくことを進んだ社会と考えるのですから、死んで何ヵ月も無視されるのも当然です。不条理を注意すると殴られるから、その場から逃げることを教える社会では正義のために命をかける人もいなくなります。まさに「あっしにゃあ関わりのねぇことでござんす」の社会です。体を張って主張を貫く勇気を育てることが大切です。まず自分から。

3月12日 記

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