わだむねのピリリ一言

9月10日記

電力消費抑制と陰翳礼讃

―電力消費抑制の生活―

 福島第一の事故から、一般世帯、企業、官公庁などすべての国民に電力消費抑制が政府から求められました。病院、駅などのエレヴェーター、エスカレーターも部分的に稼働を停止される対策がとられてきました。東京電力の供給、消費予想電力を新聞、テレビ、ラジオも報道するようになりました。

 町が無駄な光を控えるようになって暗くなりました。東京で星が見えるという説もあります。もちろんコンビニも自動販売機も節電の協力をしています。慣れてみれば不都合はさほどなく、充実して生活が出来る明るさです。いままでいかに電力を無駄遣いしていたのか、ということです。

 私たちの明るく便利な生活は、恐ろしい原子力の一面が作り出していたものであることが白日のもとにさらされたのです。原子力はあばれださなければ生活を支える強い味方で、事故が発生するとおさえる方法がない悪魔となるのです。原子力と国民の関係がいつまでも順調に続くであろうと楽観的にみていた安全神話が、今ここにきて信用出来なくなったのです。はやく原子力に頼らなくてすむエネルギーを作り出すことが政府や地方自治の仕事です。そのための解答のひとつが、とにかくエネルギーを大切にする生活習慣が身についた今の国民生活を維持することです。

―日本型の生き方『陰翳礼讃』―

 作家の谷崎潤一郎さんが『陰翳礼讃』のなかで、日本人の生活が障子越しの間接的な明るさに象徴されるほの暗さの文化にあらわれている説いています。夕方や夜、町を歩いていたり、山歩きをしていると対象物がはっきり見えない。真っ暗は不安や恐怖心をもたらします。さらに煌々とした明るさは視覚だけが膨張してしまいます。しかしそれに比べてほの暗さはものが少しは見えるだけに想像力や推理力を要求します。

 明るさのなかですべてを視界に入れ、確認して現状認識をするところから始まるいわば科学的な志向をめざす西欧型の生き方があります。日本型の生き方は、ローソクなどを使って、人工的な資源を使わずに地球の自然と距離を置かずにつきあう方法です。
端的に言うと、太陽とともに働き、日没とともに休息する生活です。こういいますと数万年前の原始生活にもどると、一蹴されそうです。ですがこのような古めかしい考えを実践、実行することが資源を放漫に使うことに慣れた私たちを覚醒させると思います。電気のみならず、上下水道、機材器具も大切に生かして使うことがなによりも生活を豊にします。話は突然とびますが、雑誌でいえば『暮らしの手帖』の論調というところです。

 LED電球、ローソク、団扇、炭、厚着、などを死語にしないで生かして実行することがすべてです。
ほどほどの明るさで満足することです。ライトアップは『陰翳礼讃』とはまったく逆の生活感覚です。暮れなずむほの暗さの中で見るお城、庭、花壇のもつおぼつかなさはまさしく日本のものです。一度考えてみてください。

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