2026年6月17日掲載
鳩派の河野さん、鷹派の石原さん
護憲の鳩派・元衆議院議長の河野洋平さんが亡くなりました。
6月8日に河野洋平さんが亡くなりました。89歳でした。日本国憲法に沿った政治をすることを強く望んでいました。また、私たちの仲人であり、長女・洋子の名付け親でもあります。護憲論者の私の政治家としての目標でもありました。さらに私は都議会で、改憲派の石原慎太郎都知事とも都議会議長として関係しました。
かつてお二人は自民党の鳩と鷹といわれたことがあります。日本国憲法について護憲の鳩は河野さん。改憲の鷹は石原さん。お二人と接触してみると個性が強いことが一致します。
鳩の河野さん
しかし、お二人とも品のある強さといえましょう。河野さんは信念として、今の立場から次なる立場に移ることもあり得ようが(例えば、区議から都議とか、都議から区長へ)、決して任期途中での鞍替えはしないこと、有権者に選ばれた以上は任期いっぱい責任を果たすべきである、というものです。
私は教え通り、北区議を五期二十年務めてから衆議院選挙に出ました。その後、都議選に挑みました。区議の時から集会の時に、憲法前文を参加者と唱和してきたのは河野さんの護憲思想と私の護憲思想が一致したからです。今年五月にお便りの中で、和田君を国会に送りこめなかったことは残念だった、というお手紙を頂きました。心にとめていただいたと今に知ったわけです。
鷹の石原さん
都議会では都知事の石原さんとは政治感覚は合いませんでしたがよく話をしました。
気を使う人で、いつも健康のことを心配していただきました。本人も本会議場にディーゼルエンジンの排気ガスの粉を振りまいて空気汚染、健康被害を怒っていました。
東京都の銀行を作ろうという石原さんとはぶつかりました。結局、銀行はなくなりました。早稲田のゴルフ部にいた私に、球が飛ばなくなった解消策を聞きに来たこともありました。築地市場移転に絡んで、都政市場初めての議長不信任が可決された時に議長を辞めるなと強硬だったのは石原知事でした。この顛末は既刊の『メリアムの教育と私』に書きました。時代を担った鳩・河野洋平さんと鷹・石原慎太郎さんというお二人と政治論を交わし、国民、住民を語り合えた幸せは私の政治家としての誇りです。河野洋平さんありがとうございました。
2026年6月16日 記
