2018年11月30日掲載

私が今日まで読み続けている雑誌

—『暮しの手帖』の70年—

 青年の頃、『平凡パンチ』、『週刊朝日』に投稿して景品をもらったりしていたことがある。書くことは若い頃からすきであった。

 いま翻訳、作文、俳句づくりなど時間つぶしができるのも当時の習慣からといえる。娘たちには読んだら、書けと言ってきた。書いて表に出さなければ頭が破裂するぞ、とおどかしてもきた。

 私は中央公論を愛読してきたが、生活や暮しを知るためには、『暮しの手帖』も大切にしてきた。

—実験主義の眼を知る—

 灯油ストーブの消火、自動洗濯機の優劣など生活の質の向上のために実験、テストをして、誌上に公表する。企業も『暮しの手帖』の評価を意識して製品の改良、改善に努力するようになった。それで随分と家庭をあずかる人人が助かった。また企業も競争して生活要望に沿った。創刊70年の今年である。

 『暮しの手帖』の合理的な企業への競争関係の要求は、企業と消費者を対等な位置におくことに成功した。成分の公表や賞味期限の徹底などもそうだ。すでに政治家になっていた私は、このような姿勢、態度こそ政治家に求められるものとして毎月読むようになったのだ。『暮しの手帖』を読むことで、物事への取り組み方、考え方のきっかけを得ることができた。

—いまの政治家と有権者の関係—

 『暮しの手帖』が消費者や企業に刺激を与えてきたことが、政治家、有権者に当てはめられないか。

 たしかに花森安治の政治版はいなかったし、今もいない。しかし政治家自身が目に見えない『暮しの手帖』を自分なりに発行して、それに沿って有権者に問いかけることはできる。その編集態度は有権者を理解しつつ、媚びず、自らの与えられた権力を畏れることを知ることだ。間もなく来年になると選挙の年がくる。それに向けた準備をゆっくりと、冷静に政治家志望者も有権者もする時がきた。

2018年11月30日 記