2025年9月16日掲載

自民党、所属国会議員は勘違いしている

 かつて自民党が圧倒的に数を誇っていた時代には、自民党総裁は総理大臣であった。

 そして、その傾向が官僚にもあって、施策決定には自民党の了解がなければならなかった。自民党即国という錯覚が、自民党の関係者になかったとは言えない。しかし、時代の変化は、この参議院選挙に見られるように、新しい評価の定まらない政党が数を得た。すなわち既成政党の自民党、公明党、立憲民主党などの議員数が伸びないか減ったということである。そして、石破おろしである。当面議員を減らした政党は、原因を探し、対策をとらなければならないはずだ。ところがどうだ。自民党は参議院選挙の敗因を、石破総理に持って行っている。これは違う。安倍総理が一次内閣を健康事情で投げ出したことをうけた、同情から二次政権は力を得て動いた。その結果、安倍政権の資金パーティーなどで、各議員の券の売り上げが伸び、ノルマ以上の売り上げの処理に違法があって大問題になった。根本はここなのだ。この原因を作った旧安倍派の安倍総理に育てられたという人間が、自民党当主に名乗りを上げる。わが国の歴史は非業の最期を遂げた人物を英雄にしてきた。

 源義経、楠正成、大石内蔵助、坂本龍馬などいつの世にもいた。近年の政治家では、選挙中に倒れた大平正芳総理、安倍晋太郎総理がいる。この両名は自民党の選挙を圧勝させた。命を懸けた選挙の勝利ということだ。しかし、これも野党の数がおぼつかなかった頃の話だ。いまは違う。国政選挙で両院の過半数を得なければ、いつまでも公明党との連立である。この事情を知れば、自民党の代表選びの総裁選挙よりも、当面の政権運営をしている石破総理に続投させるというのが自民党の知恵ではなかったのか。いま自民党の総裁に名前の挙がっている人々は、内政、外交の今に空白は作れないという、政治感覚すらない国会議員なのであろう。自分なら、石破よりも優れて国を動かせるという高ぶった気で名乗るのだろう。しかし、自分の政治資金などのスキャンダルを騒がれることの無い身ぎれいさがあるのかという自己点検を済ませなければ、とても名乗れまい。多分潔白なのだろう。いま思い出すのは「出たい人より、出したい人を」、という青臭いが民主主義の原点である。

2025年9月12日 記