2018年9月3日掲載

水を売り買いする時代

—ポリエチレン公害を訴える—

 古い話になる。いまから50年ほど前、経済評論家に高島陽という慶大出身で、陸上競技に詳しい人がいた。

 この人の評論が好きで、マラソンを走っていて嫌気がさして、走りたくなくなる瞬間があって、それを「ウィンド」という、などということもこの人から知った。

 さて、この高島さんは将来、水を買う時代が来る、と予言していた。当時は未来学などといって林雄二郎東大教授、画家の真鍋博さんなどがしきりと説いていた。

 私は公害の果てにそんな時代も来るかな、ぐらいに思っていた。しかし高島さんの指摘した通り、富士山の水、谷川岳の水などなど日本中の山の水がペットボトルの自動販売機に揃うようになった。

—そしてどうなった—

 死んだ鯨の腹からペットボトルの分解した残骸が出たり、深海に堆積していることが明らかになったり、大騒ぎだ。目ざとくストローを使わないという企業も出た。また政府も分解しやすい材質の開発を急ぐといっている。かつて「スモール・イズ・ビューティフル」といった節約、身の丈生活はどこかに押し込められた。テレビもスマホも旨い物グルメで大騒ぎだ。

 買い物に行くのに自前の手提げ袋を持っていく人もいるが、ほとんど店のプラスチック袋だ。そして海洋汚染、自然破壊、鯨などの生物被害へと連鎖する。何度も節約、倹約をしなければと思っても贅沢三昧をする私たち。時代とともに発達、進歩しなければ愚かである。かつての火傷に懲りない、われわれは、1年365日がお祭り騒ぎである。

 水は水道水で十分である。浪費、贅沢の上に乗った社会は危うい。浪費を急がせることは使い捨てをし、永続きを嫌うことだ。贅沢はただで済むものにお金を使うことだ。わがままもいい加減にやめる時だ。

2018年9月3日 記