2018年7月31日掲載

権力が熟み、官僚が倦み、政治が膿を出す!

—安倍政権のゆきついた処—

 かつてのバブル(水膨れ)経済の虚脱から抜け切れず世界も日本もここまで来た。

 米国の、常人とはいえないトランプ大統領の出現、復古主義の安倍政権のいまがその混迷の頂点、極点といえる。虚脱、混迷と随行、いや先導する形で情報化社会がある。結論はツイッターに象徴される、個人優先、感情突出の傾向である。

—公の消失がもたらしたもの—

 国民の支払う汗と血の結晶(税金)を自分の立場を宣誓して給料として頂く役が公務員である。そのためにかつては公僕といわれた。わかりやすい呼び名だ。しかし、いわゆる民主主義が徹底した今日、どういうわけか死語となっている。公務員として仕事上あずかっている権限を公と考えず、私物化しはじめた。ここで政治家も公務員であることを忘れてはならない。見渡せばつい最近でもモリ・カケ、東京医大入試、旧科技庁接待、野田総務大臣の情報漏洩に関わる諸問題が山積みである。

—国民の視点が定まらない—

 税金を払う国民がしっかりすれば、もっと厳しく監視すればこんなことは起こらないはずだ、という現状肯定派は受け流す。

 どういうわけか黒田日銀総裁の2%物価上昇の公約違反をずるずると追認する安倍政権は、免責されている。国民はサッカーの国際大会に熱狂し、大雨大災害の処理に苦悩し、オウム真理教の死刑執行、灼熱地獄に翻弄されまくっている。

 襲ってくる予期せぬ現実に視点ばかりでなく、思考もついてゆけない。

—悪連鎖を断つには—

 かつて昭和13年(1938)、国家総動員法で国民の物質、精神を国、軍部に独占した。その機構は今日も役所、官僚、政治家はもちろん国民にも遺伝子として残留している。かえって増殖しているといえる。

 たとえば私学助成金を必要とする商社化した私立大学は、助成を決定する力を持つ文科省からの天下りを受け入れる。それに政治家が介入すれば骨抜きにされた立派な贈収賄である。これが常態化している現状。防衛省にも他省にもなくはなかろう。

 国家総動員法まで遡る長く固いわが国の行政と政治と国民の三角関係の悪弊を断つには、その逆を行なえばよいのだ。公を疑う、集団の中の自分を考え、時の流れに身を任せない。

 なによりも現実という確固たる力、権力の存在を認めつつ、懐疑するという教養が求められる。外面的な配慮、勇気ある戸惑いを持つことである。

2018年7月28日 記