2026年3月4日掲載
自覚なき任務意識
このところ教師、警察官など資格の伴う仕事に従事している人間の破廉恥な犯罪がふえている。もとより資格試験を合格しているのである。しかしその試験で使命感、倫理意識なども調べているのだろうか。保育園で児童を性欲の対象にしたり、警察の遺体管理室で女性の裸体を写真に撮ったりする。例えは誠に非常識だが、扱う対象は自分の大切な仕事そのものである。自らを汚し、貶めているのである。そこに自尊心、仕事への誇りはないのだろうか。集団としては神奈川県警の自動車の交通違反の捏造である。それもなんと2000件を超す。仕事の実績づくりのためという。わたしの記憶の限りでは声優の徳川無声さんは全国の警察官に感謝をする会の会長を務めていた。無声さんの警察官を心から応援感謝する姿が記憶にある。国民から感謝されていた警察官は、いま感謝ではなく、軽蔑、警戒の対象である。この信用失墜は元に戻るまで、相当の時間がかかるであろう。それは絶対権力を持つ人間、すなわち場合によっては、所持しているその拳銃を使うことも許される仕事であるということと無関係ではない。不信と思えば、職務質問をし、交番まで同行を求める権利がある。さらに取り調べでは、被疑者として制約される。片務的な環境に、国民を置く仕事である。それだけに国民の信頼が基本の仕事である。教師も教育という限られた環境で、児童、生徒の教育、学習、評価まで行い将来を規定する。
この二つの仕事だけではない。現在、その本来の業務に照らして違反するばかりではない、犯罪におよぶ行為が頻出している業務である。警察も、教育も信頼、尊敬されるべき仕事である。それだけに箍(たが)の外れた桶から漏れる水のようにダラ、ダラと無様にもれだす有様は正視に絶えない。箍(たが)を締めなおすのは学校の教育、社会の監視である。日ごろの感謝と同時に、常に静視している国民がそこにいなければならない。その緩い緊張感が職務に向かう教員、警察官や公務員の姿ではないだろうか。
2026年2月28日 記
