2018年7月31日掲載

夏休みがはじまり、私と青少年のかかわりは?

 当たっているかどうか責任は持てないが、人間には男すぎる男、女すぎる女からその合間にある女のような男、男のような女までいろいろな状態があって当然である。

 人間の染色体の組合せは、生命の起源からはじまり無数にある。ロボットではない人間。ボタンを一つ押せば、数百、数千の鋳型からできる製造物とは次元がちがう。生物学のイロハだ。

—人間という基盤にのって—

 このような教育は義務教育の保健、体育、理科(生物)でも力を入れるべきである。生物—人間という分類のなかから自分、他者、社会を認識していくきっかけにしてゆく。

 この人間、生命教育を抜きにして保護者の熱望による点数主義の技術教育にシドロモドロになっているのが現代の義務教育である。

 人間を基盤とする生命の教育が人権、性の平等、他生物との友情を育むのであるが、とてもとてもそのような期待は不可能である。

—校内教育が無理なら…—

 その証しが校内外暴力(いわゆるイジメ)である。これは切ったり殴ったりして外傷を呈するよりもそこまでいかない程度。それだけに表面化するのに時間がかかり、気がつけば本人が自殺しているという結果になる。暴力を行なっていた者たちも、世間ではイジメといっている暴力にもならないふざける行為で死んだ力の弱い人間とでも自分を正当化しているのだろうか。旧来のイジメ=ふざける、からかう行為と安直にみる常識が誤解されやすいので、私は校内暴力とかつてから記してきている。

 子どもたちはいま夏休み、町で不可解な言動、小・中・高校生らしくない行動を見聞きしたら、注意をすることだ。あたり前のことを指摘して社会、世間のきまりを継承していく勇気を示すこと。それは評論ではなく、自らの声と行動で行なうことから責任ある自分を実践してゆきたい。

2018年7月26日 記