2019年3月12日掲載

表意と表音を正しく使い分ける

—表現の詐術に負けない—

 いま横畠法制局長官が国会で揶揄(やゆ)し「このような場で声を荒げて発現し」と強がりを言って謝罪を求められた。ここで問題なのは「揶揄」である。日常ではあまり使われない用語。これを国会で用いている。他にもある。「遺憾(いかん)」である。

 国会で官僚が失敗したりした時、上司が「まことに遺憾であります。」などという。

 「揶揄」にしても「遺憾」にしても耳から聞いただけではすぐに理解できない。同じ音があったり、日常での話し言葉になじんでいなかったりするからである。

—理解が不可能な語でなく日常語で—

 「揶揄」や「遺憾」にしても耳慣れていなければ聞き流してしまう。さらに使用する側は自分の過失を言いくるめる効果に出来る。普段使わない用語でかしこまっている風でも、批判をかわす技術としての用語になっている。つまりそこには誠意が見られない。

 次のように言い換えれば、素直に頭や心に入ってくる。すなわち「揶揄」は「皮肉を言う」または「攻撃する」、「遺憾」は「残念である」「申し訳ない」、とそれぞれ言えばすぐに意味は通じる。誠意をもって、意味を正しく伝えると、耳にも頭にも入ってくる。

 表音のための日常語。日常生活から離れた時、文学などの目から理解を得ようとする表意語。これを使い分けることが大切である。特に政治家や官僚は巧みに表意語を言葉に混ぜて詐術として用いる癖がある。私たちはそれを見抜いて、読み切り、読み取る知恵を持つ必要がある。

2019年3月11日 記